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番外編 東野 圭吾 × 新潟スノーファンクラブ

「スノーボードがいちばんうまいのは誰だ?」
そんな素朴な疑問から生まれたイベント「SNOWBOARD MASTERS」。
4月7日(土)、8日(日)、赤倉観光リゾートスキー場で開催されます。
今回のスペシャルインタビューは、番外編として、「SNOWBOARD MASTERS」 発起人でもある、作家 東野圭吾さんより、このイベントに対する思い、スノーボードとの 出会いなどが込められたメッセージを寄せて頂きました。

 この冬は平昌五輪がありました。日本、大活躍でしたね。羽生選手の演技にはしびれたし、小平選手のスポーツマンシップには感激しました。メダルに届かなかった選手たちにしても、がんばる姿はとても美しかったです。
 でも私の印象に最も強く残ったのは日本人選手ではなく、チェコのエステル・レデツカという女性です。その快挙は、あまりにも衝撃的でした。何しろスキーとスノーボードの両方で金メダルを取ったのですから。元々はスノーボードのパラレル大回転の優勝候補でしたが、それより先に行われたアルペンスキーのスーパー大回転で、二十六番という遅いスタートながらトップに踊り出て、世界を驚かせたのでした。そしてスノーボードでは圧勝、見事二冠に輝きました。いやはや、大谷選手も顔負けの二刀流です。
 レデツカ選手は別次元としても、雪国育ちの人にはスキーもスノーボードもできるという方が多いのではないでしょうか。かくいう私もそうです。スキーを始めたばかりの娘と滑る時はスキーを、仲間たちと滑る時は主にスノーボードをやります。どちらも大してうまくありませんが、下手くそなりに楽しんでいます。
 最初に始めたのはスキーです。中学三年の時でした。その前の年に札幌五輪が開かれていて、それ以来スキーをしてみたいと思うようになったのです。初めてゲレンデを見た時には驚きました。見渡すかぎり真っ白です。こんな広大な遊び場所が日本にあったのか、と声を失いました。
 以来、高校、大学と冬になればスキー場に行くようになりました。当時は夜行バスで行くのがふつうです。私にとって一番の遠出は妙高でした。遠いからできるだけ滞在日数を増やします。当然費用もかかるわけで、バイト代が貯まった時などには、「よし、妙高へ行けるぞ」となりました。
 社会人になってからもスキーは続けていましたが、一度大怪我をしてしまい、それ以後スキー場から足が遠のきました。皮肉なことに、それから間もなく、映画『私をスキーに連れてって』の影響で空前のスキーブームがやってきます。当時私は関越自動車道の大泉ICの近くに住んでいました。毎週金曜日になると入り口に車の長蛇の列ができるのを眺め、みんな大変だなあと呆れていました。もはや他人事だったのです。
 その後、バブルが弾け、スキーブームは一気に下火になったのはご承知の通り。私は真っ白いゲレンデを思い浮かべることすらなくなりました。
 ところが、です。ある夜酒場で飲んでいた時、Mという人物を紹介されました。M氏は出版社に勤めていて、スノーボード関連の雑誌を作っているとのことでした。
 スノーボード? ああ、あれね。  そういうものが若者たちの間で流行っているらしい、ということは知っていました。スキーヤーたちが嫌っているということも。
 M氏は私に、やりませんか、と誘ってきたのです。始めるなら新しい板をプレゼントします、といいます。もうすぐ四十四歳になる私に、です。社交辞令にしても無茶すぎると思いましたが、板が届いたら考えますと答えました。こちらも社交辞令でした。
 すると数日後、本当に板が届いたのです。さあこうなると逃げられません。神田のスポーツ店に駆け込み、一式揃えました。下手に板を貰ったばっかりに予定外の散財をさせられ、帰る頃には不機嫌になっていました。
 そしてさらに数日後、私は担当編集者らと共にガーラ湯沢のゲレンデに立っていました。新幹線の駅とゴンドラ乗り場が直結なんて、びっくり仰天です。
 その日──二〇〇二年二月二八日は、私にとって特別な日になりました。
 スノーボードは難しかった。滑っている時間より、雪の上でもがいている時間のほうが圧倒的に長い。寒さ対策をしてきたのに、逆に汗びっしょりです。それでも、その苦痛に勝る楽しさがありました。いい歳をしたオッサンが何度も転がっている、という客観的事実にも笑えました。
 これ、俺に向いているかも、と雪だらけになりながら思いました
 それから十六年が経ちます。どうやら最初の直感は正しかったようです。毎年二十日前後は滑っています。仕事仲間と湯沢に行くのは、年末の恒例になっています。長野や北海道に行くことも多いです。本当に日本は素晴らしい国です。
 スノーボードを通じ、いろいろな人と出会い、様々なことを学び、経験しました。スノーボードをしていなければ、天気図をチェックする習慣もつかなかっただろうし、雪崩が起きるメカニズムも知らないままだったでしょう。カラスの行水といわれている私が、これほど温泉地に通うこともおそらくなかったと思います。それらの体験を生かして書かれた作品は、一つや二つではありません。
 一体何が楽しいのと訊かれることも多いです。どうしてそんなに夢中になれるの、と。  答えに窮します。説明するのは大変難しい。それにたぶん、一人一人の答えは違うと思います。
 でも一つだけいえるのは、非日常を味わえるということです。何の推進力も使わず、時速数十キロで移動するなんてこと、日常生活にはありません。ところがスノーボードやスキーでは当たり前のことです。時には一つの山のてっぺんから麓まで、あっという間に下りてくるのです。その感覚は通常では得られません。しかもその感覚はいつも同じではありません。ゲレンデによって違うし、その日のコンディションによっても大きく異なります。またたとえ同じ日に同じところを滑っていたとしても、本人たちの技量によって違ってきます。
 だから飽きないし、もっと上手になりたいという欲も出てきます。ゲレンデで華麗に滑っている人を見つけたら、羨ましいし、どんな感覚で滑っているんだろうと気になります。その思いは、人間業とは思えず、自分とは縁がないと諦めてしまっているオリンピック競技を見ている時とは明らかに違います。
 スノーボードをカッコよく滑る──それにこだわった大会があればいいのに、と思いました。速さと華麗さだけで勝負してもらうのです。考えれば考えるほどワクワクします。誰かそんな大会を開催してくれないだろうか。
 そしてある日、悪魔が私に囁きかけました。誰もしてくれないなら、おまえがやればいいじゃないか、と。
 いやいや、何いってんだよ。ド素人の俺にそんなことできるわけないだろう──。
 しかし誰も見たことがない大会を開きたいという思いは日に日に強まるばかり。思えば、現在の私があるのはスノーボードのおかげです。出会っていなければ、きっとずいぶんとつまらない人生になっていたことでしょう。そう思えば、恩返しのいいチャンスのような気がするのです。
 よしやってみようと決意し、いろいろな人に相談しました。馬鹿にされるかと思ったのですが、意外にもどこでも好感触でした。聞けば、大きな大会がどんどん消滅しているというではありませんか。  果たして成功するかどうかはわかりません。もしかしたら大失敗に終わるかもしれません。でも、日本中からスノーボーダーたちがいっぱい集まって、目の前でかっこいい滑りを披露してくれるなら、それだけで還暦爺はたぶん大いに満足できると思います。
 よろしくお願いいたします。

SNOWBOARD MASTERS公式サイト

Negicco

東野 圭吾さんのプロフィール

1958年大阪府生まれ。1985年『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受賞し、 デビュー。1999年『秘密』で、第52回日本推理作家協会賞を受賞。
2006年には『容疑者Xの献身』で、第134回直木賞を受賞した。
他著に、『白銀ジャック』『疾風ロンド』『恋のゴンドラ』『雪煙チェイス』など雪山作品多数。
4月7日、8日に赤倉観光リゾートスキー場で開催される『SNOWBOARD MASTERS』の発起人を務める。

インタビュー内で紹介されたスキー場

vol.5 小野塚彩那

vol.3 Negicco

vol.2 皆川賢太郎

vol.1 西山茉希

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